インハイ県予選最終章『選手への感謝』ー私の高校バレーを終わらせてくれてありがとうー

長々とインターハイの記事を書いてきましたが
これが最後の記事になります。

私から、選手たちへ。

私も特別な想いで挑んだ今年のインターハイ。

感謝で締めくくりたいと思います。


7年前、
私のインターハイの終わりは、
あまりにも残酷なものでした。

そしてインターハイの終わりが、
私の高校バレーの終わりでもありました。

石垣島で行われた7年前のインターハイ。

私は、
決勝戦で、左膝の前十字靭帯を断裂。
そのまま戦線離脱しなければならなくなり
試合が終わった頃には
救急車で病院に搬送されていました。

気づいた頃には飛行機に乗り、
自宅に着いていました。

私が抜けたチームは、
西原高校に負け、準優勝でしたが、
私には
負けたという実感も、
終わったという実感もなく、
ただ、左脚が動かない、それだけでした。

きっと、あの時から
私は自分の高校バレーを終わらせきれなかったのだと思います。

多分、怪我をしたという現実に向き合う勇気がなかったのです。

私の中で、
高校バレーの時間は終わらず、
7年間、ずっと止まったままでした。



生徒たちは、
私がインハイで怪我をした事は知っていますが、
そこから私が向き合えなかったことは知らななかったと思います。

だから、
「自分たちが勝って、一緒に全国いきましょうね!」
と笑って言ってくれました。

私はそれがすごく嬉しかった。

彼女たちは、
いい意味で私を巻き込んでくれました。

今までインターハイ、高校バレーを
終わらせきれなかった私に
ちゃんと終わらせるきっかけをくれたのです。



私は彼女たちに
バレーボールの技術や考え方、
ゲーム中のノウハウなど
私が教えられることは惜しみなく教えました。

私が高校時代に教えて欲しかったことを
彼女たちに全て与えようと思いました。

試合が終わった後、
彼女たちは
私に1年間いろんなことを教えてくれて、
与えてくれてありがとうと言いました。

だけど、
いろいろ与えてもらっていたのは
私の方なんです。

彼女たちのおかげで
私は向き合えなかった7年前の自分の高校バレーに
やっと、ちゃんと、ピリオドを打つ事ができました。

ありがとうを言わなければいけないのは
私の方なのです。

保護者の方々から、
何度も子供達を助けてくれてありがとうと言われました。

でも、本当は救ってもらっていたのは、
私なんです。

私を巻き込んでくれて、
本当に、彼女たちには感謝をしています。



ずっと嫌な思い出だったインターハイを
彼女たちのおかげで
いい思い出に書き換えることができました。

1年間、共に戦ってきた私も
きっと成長したんだろうなと思います。

彼女たちに対して、「勝ってほしい」という想いは、
多分、私のエゴでしかなかったのだろうけど、
それでも一緒に戦ってる気がして、
そして素晴らしい景色を見させてもらった。

本当に、私は幸せ者だと思いました。


コザ高校のみんな、本当にありがとう。


私は、みんなと関わることができて
本当に嬉しかった。幸せだった!

ありがとう!!!



きっとまた、
新しいチームで再スタートする。

さらに大きな気持ちで
また次のチームに関われたらいいな❤️


Fin.

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